2013年2月4日月曜日

『さわやかな共感』と『奇妙さえを包括する世界』

こんにちは。


さて、前回も書いた通り、今日は楽曲レビューを。

今日最初に(二つ以上書く気力があるかわからないけどまずは一つ目に)取り上げる曲はjoy / アイオライトです。joyがバンド名で、アイオライトが曲名です。

この曲はエウレカセブンAOの後期EDテーマでした。この曲を初めて聞いたのはその時です。

友達に交響詩篇が面白いという話を聞いて見てみたところ、まぁーなんという電波アニメww
最初のほうはまだマシだったんだけど、後半はほとんどもうわけがわからず見てましたね。こんなにわけのわからんかったアニメはガンダムWだけでした。しかも後半はホランドのレントンへのDVがひどくて始終ムカついてましたねww「コイツ、マジで嫌いだ」って思った最初のアニメキャラですわ。未だに嫌いです。
まぁわけのわからんかったアニメだったが、でもなんか純粋なレントンとエウレカを見ているとこう感動できるものがあったし、何より最後のほうではレントンがどんどん成長して、最後にはただのイケメンになっていて、そういうところがよかったかなーと思います。
でも繰り返し見ようとかは思えなかったww

んで、その流れでAOも見始めたわけですが、まー世界観がものの見事に違いすぎて、これ別にエウレカでやんなくてよくね?と思ったことは隠せませんでした。これがどこに向かって進んでいるのか、わからなくなることのほうが多かったですからね。でもとりあえずフレアがかわいいから見とこーと思って視聴。そして後期が始まったとき、ワタクシは震撼しました。 OPもEDもめちゃくちゃいい曲じゃないか!と。エウレカのOPはやっぱりflowじゃないとね~と思っていたのんでブレイブルーは最高でした。ですが自分が最もひかれたのはこのアイオライト。

この曲はイントロの一音目、要するにメロディーの一音目、そこから心をつかんできましたね。歌声もそうなんでしょう。でもその次の瞬間に追い討ちをかけるかのようにしてなり始めるベースとギターの音、そして軽快なドラム、これがもうなんか何とも言えず最高だったんですよ。EDアニメーションもなんか一部はアニメの内容とあってなくて云々とか言ってたらしいけど、自分はなんかとっても感動できるように感じて(決してフレアがかわいいからではありません、決してフレアがかわいいからというだけではありませんが)、このアイオライトという曲の歌詞とも相まってすごくいいなと思ったんです。「そうして僕は僕になる」という言葉が、すごく印象的でした。なんだかわけのわからないうちにLFOのパイロットになったり、母親がよくわからない人だったり、幼馴染はいきなりわけのわからないことを言い出すし、とにかくわけのわからないことに巻き込まれて迷って悩みながらも成長していくアオの言葉のようにも聞こえて。

「あぁ、これぞ名曲なんだ…」

と思ってすぐにCD買いました。それでしばらくはヘビロテしてばかりいましたね。Youtubeにも確か公式のMVが上がっていたのでそれも見ていました。うん、アニメと切り離してもすごくいい曲だった。ボーカルの声は透き通るようで、歌声には無理な力みが見られないのにそれでも心に引っかかってくる。すっと入ってくるんですよ。あんまりエレクトリックな音楽には詳しくないんですが、シンセの音かな?それがすごく特徴的で、ロックバンドなんだけど重たい音楽というよりもむしろ、流れるようななめらかさというか、漂う感じを出しているんですね。ギターもそんなに激しい感じじゃなくてふわっとしている感じというか、強い主張をしているわけではなくて、その電子音に合わせるようにさわやかさを前面に出している。ドラムとか結構がっつり叩きまくってるんですよ。ギターロックの色が強めな邦楽ロックの中では珍しいかなと思います。でもそれがギターとか電子音と相まってちょうどよくて。サビ前でくるベース!!!これにはやられますね。間奏部分で入る特別なエフェクトがかかったボーカルもいい。

本当に最初から最後までさわやかな曲って感じです。よく晴れた日の朝に聴くとめちゃくちゃテンション上がります。この曲のイメージカラーは青とか水色、白、緑(薄くて少し水色がかった感じ)ですね。

このバンド、調べてみたらこの曲でメジャーデビューしたらしく、まだまだ新進気鋭ですね。王道というにはちょっとおおげさかもしれないけど、安定感があると思いますね。斬新性が強いというよりは。あ、いい意味でね。奇をてらいすぎるより、こういうさわやかでストレート、でも奥の深いメッセージを歌っている曲は大好きです。

サビのフレーズは心にとにかく響きます。
「あなたを想うことさえも 許されないと知って 存在を否定されたような気になっていたよ」
「待ち受けている運命に 立ちすくみ怯えていた もう決して迷わないように 強くなっていくよ」
「二度と戻れない過去を 明日から糧にして そうやって乗り越えてゆくのさ」
「そうして僕は僕になる」

自分の実力や先々のことを憂う気持ち、でももうこの一瞬も次の一瞬も決して取り戻すことはできない。だからこそ迷わずに強く突き進んで、自分の運命でさえも乗り越えてみせよう、もっと強く生きようという、少年のさわやかで、だけどほろ苦く、どこまでもまっすぐな気持ち。自分はそんな気持ちが少しわかる気がします。昔、いやひょっとしたら今もそうやって生きているような部分はあるんじゃないのかな、と。似たような感情を抱いた人は、少なからずいるんじゃないでしょうか?

AOの最終話でアオがまた島に戻っていくところでこの曲が流れた時にはもうやばかった。さんざん悩んで苦しんでわけがわからなくなって憤りを感じて、でもそうやって生きていく中でようやく自分の中で何か『答』と呼べるものを見つけ出して、そして最後に決断を下したアオ。すごく良かったと思います。レントンとの戦いの中で言っていたセリフ、正確には覚えていないけど、あれはすごく良かったと思ってますね。

まぁ下世話な話をするなら、あそこまで要素が散らかったのによくあの最終回でまとめることができたな、と思って自分なりに満足しましたねww


さて続いて語りたいのはpeople in the box / 物質的胎児

peopleを聴き始めたのはごく最近で、まだ最新のアルバムにしか手を出せていません。名前はずいぶん前から知っていたのですが、なかなか自分で自由に使えるお金のなかった時でしたので、CDを買うことはできずにいました。ずっと聴きたいと思っていた矢先にラジオのゲストでボーカルのハタノさん(漢字忘れた)がいらして、その時に話とともにがっつりと楽曲を聞いたのですが…

ドストライクでした。

言葉の選び方というか、選ばれて紡がれた歌詞が、僕の好みを抑えつつ、その斜め上にまで伸びている感じがしましたね。「これだ!」って思って次のくらいには買おうと思えました。いろいろ立て込んでしまったせいでそのずいぶん後に購入してしまいましたが。

中でもこの物質的胎児という曲がすごく気に入りまして。

全体としてはイントロは静かに入って行って、最後までその雰囲気を保ちつつも盛り上がっていく感じかな。イントロあたりのドラムの音は心臓の鼓動音を意識しているように感じた。ギターの音はまるで母親のおなかの中にいる時の羊水の流れを連想させました。たぶんタイトルから自分はそう感じたんだと思う。不思議な浮遊感をずっと給って進んでいく曲で、すごくきれいな曲、というのが聴いた率直な感想なのですが、でもきれいという一言で表すにはあまりにもその言葉が貧乏に感じてしまうんです。この美しさにはどこかきれいというプラスの意味合いだけを持ったものではなく、もう少し違うニュアンスがあると思うんですよ。あきらめやデカダンスのようなものの存在に対してそれを軽く揶揄…いや違うな、それらの存在を軽く認めて、その上でそれらをきれいなものに書き換えてしまっているというか、全然きれいじゃないと思ってしまうようなものまでも、この楽曲の中では、おそらく意図せずして、そうなるべくしてきれいなものとして流れて行っている気がするんです。その世界観は不思議すぎて、現存する言葉を組み合わせただけの基本的な文法事項では決して語ることができないような、そんな尊さや気高さ、ないしは完成された完璧さというものがあるようにさえ感じてしまう。

たぶん聴く人によっては意味なんてない歌詞だという人だっているかもしれないけど、自分は一人の受け手として、すべての楽曲に何かしらの意味と解釈を見出していきたいと思っています。それが音楽を聴くということなんじゃないかと思っているからです。だから僕のこの解釈はだれかのそれとぶつかって構わないし、もしかしたら作り手のものとは食い違っているのかもしれない。けど、だとしたら、それほどまでにたくさんの感じ方を生み出せる曲というものはそれだけで最高といえるのではないでしょうか。


とにかくこのバンドの紡ぎだす音楽は他とはまた違う。それだけは絶対に間違っていないだろう。ありきたりという言葉でこのバンドを語れる人間がいるとすれば、それは自分とは相いれない考え方を持っているだろうし、そして恐らく自分はその人間の解釈には賛同できないだろう。

「動物たちだまりこんだ」
「みずの底で いしがけずれる」
この二つが並ぶことによって、まるで動物がしゃべることが当たり前のことのようになっている。ま、もちろん鳴くという行為に対しての「だまりこんだ」と考えることも可能だろう。だけど、この場合、自分は動物が話しているのだと思う。
そしてこの部分につながる
「冷蔵庫のなかでひかる なにもみてはいないまなざし」
このフレーズの与えるインパクト。これがこの楽曲では「当たり前」のように存在しているのだ。自分だって今こうして歌詞カードを開いて、切り取られた言葉としての歌詞を見ていないと、この歌詞の奇妙さに気づくことはできなかった。ただ楽曲を聴いているだけだと、それら奇妙な言葉はそこになくてはならない、むしろないことのほうがおかしい言葉として伝えられるのだ。これはなんということか…ここまで奇妙を普通にできる曲は存在するだろうか?そしてそれを書くことができる人がいただろうか?違和というものをここまで感じさせないとは、もはや感服し脱帽するしかない。

そして自分は気になってしまう
「あしもとのひえたかわを なにかがしたたった」
その何かとはなんだろうか?いったい何が?このあしもとのひえたかわとはなんだろうか。
なぜこんなにもひらがなが多用された歌詞なのか?それはおそらくここにちりばめられたワードすべてが、おそらくこの歌詞を紡いだ人にとっては、既存のワードではなかったからではないだろうか。そう、もしかしたらさっきの引用のあしもとは「足元」ではないのかもしれない。かわだって「川」ではないのかもしれない。

そう考えてくると、どこまでも広がっていく。止まらずに拡張されていく世界観がここにはあるんだろう。

かくも素晴らしき音楽にはなかなか出会えない。これはぜひ聴いてほしい。

さてこんなところかな、今日は。
書くのに二日かかったww

さて、これから少し用事があるのでこの辺で。
ノシ







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