2013年1月21日月曜日

省々道々(せいせいどうどう)1

よく考えたんだけど、持論を語らないというのは少し難しい。
だから、ここでは誰かを批判するような、だれかを中傷するような、そんなことにはならないように、自分なりに自分の考えを、言語にしてまとめてみたいな、と思う。

で、そんなときにこの創作四字熟語『省々道々』をタイトルに据えて色々考えていきたいと思った。たびたび使うことになるだろうけど、興味がなかったら流し見るか、スルーちゃっていいんじゃないでしょうか。


今日は自分、なんて不器用なんだろう、というところからスタートしていきたいな、って思う。

自分は自分の考えを人に伝えるのが、苦手というわけではないけど、うまくはないと思う。

色々と考えていることがたくさんあって、何を伝えたいのかははっきりとしてるんだけど、それを口に出して話し言葉として伝えるときに、うまく伝えきれてる自信がないときがたくさんある。


後から考えたときに
「あぁ、伝えたかったことの20%も伝えられなかったな」
って状態になることが、多いような、そんな気がすることが多い。


一つには伝えたいことがたくさんあるっていうのがあるんだと思う。

もう一つには言葉がどんどん口から出てくるから、持ち主である自分の意図から離れて行ってしまうことがあるってのはでかい。というか、ちゃんと意図に沿った言葉を選べない自分がまずいんだと思う。そんなこと言うつもりはなかったってのがいっぱい。

ほかの人たちからしたら、俺の伝えたいことは伝わってないんだろうと思う。

目的地をはっきりと描いてないから、言葉も、スピーチも、プレゼンも、進路も、どこに向かって進んでいるか分からなくなる。最終的に伝えたいことは感覚ではわかっている。でもそれを人に伝えるのは難しい。言葉はどのための通り道であるとするなら、道を間違えれば今度は、結論のほうをゆがめていくことになる。目的地が変わってしまうから。

普段からconclusionをちゃんと決めて、筋道だった理論的な話し方なんて、きっとできないし、そんなことしてるほうもされるほうも、絶対に疲れてしまう。

それでも、それでも。

何か伝えたいことがそこにあるんだったら、それをまずはっきりさせないとならないんだと思う。

最終的に自分はどうなりたいのか、何をしたいのか。それはすべきことなのか、してはいけないことなのか。それを伝えるにはどうしたらいいか、または伝えるために何をしなくてはいけないのか、何をしてはいけないのか。

結局それなんだと思って。俺に足りてないのって。
カルシウムももしかしたら足りてないかもしれないけどww

自分はちょっと言葉に対してイメージが芸術的すぎて、ほかの人と使われ方が違う言葉を好んでしまう。それは決して悪いことじゃないと思うけど、うかつに使っちゃうからもろ刃の剣になっちゃうんだろうな。

ほら、この文章それ自体が、たぶんほかの人から見たらわけのわからないことでしょ。

それが悪いんだよ。


伝えたいことがなんなのか、俺はまだはっきりとつかめてないんだと思う。

それがわかったんだから、今度はそれを探しに行くしかない。

もう少しだけ、まだまだ時間はあるから、焦ることなくそれをゆっくり探していけばいい。

日々やらなくてはいけないことはある。でも、それを言い訳にして、伝えたいことが何かを考えるってのを、ないがしろにできるほど俺は大雑把にできてないだろう。何せ心配性で理屈っぽく、考え出すときりがないからだ。

一人で考えているだけでも、その答えにたどり着かないことだってあると思う。自分で自分を顧みることも必要だけど、でも、もっとそれ以上に、誰かとの間で遭遇した新しい考え方や、誰かがくれたヒントに対して、もっと素直になるべきなんだとも思う。


省々道々

ではではノシ



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